EMclub さんへ両親を紹介できて満足の今日子。
もっとMさんとお話したかったけど、次の予定が待っていた私たち家族。ホテルへ戻りました。(前回のお話 )
少し急ぎ気味にホテルへ戻り、まだバスはついていませんでした。
父はたばこを吸いに行き、母と私はソファに座ってバスを待ちました。
黄色い15人ほど乗れそうなバスがやってきました。
そして中から鮮やかなグリーンのムームーを来た小柄な日本人のマダムが降りてきたのでした。
添乗員の女性「は~い、はじめまして!PCC(polinecian culture center)へ行くお客
様ですか?お名前をお願いしますね~」
父「あーいちまるです。こんにちは。」
添乗員の女性「市丸さん!?あの歌手の市丸姐さんのご子息ですか??」
父「よく言われるんですけど、関係ないんですわ。がはは」
ハワイでも大阪弁全開の父。
父「父親が佐賀出身なんですよ」
添乗員の女性「そうですか~!私は大分なんですよ~!」
と九州話で盛り上がっていると、ハワイアンダンス同好会の女性グループが来ました。
彼女たちも熊本県や大分県の出身の方が多く、車内は和気あいあいとしていました。
添乗員の女性の方はワイキキの町の話や、近くの施設のイベントなどたくさんの話をしてくれたのでした。
オバマ大統領の生まれた病院の側を通りました。
ハワイに住む日本人はほとんど、ここの病院で子どもを産むという話を聞きました。
そうか、私もいつかここで産むのかしら。。どきどき。。
私たちはPCCへどんどん近づいてきました。
添乗員さんの着ているムームーはシルクで出来ていて、ハワイの正装だという話や、オーダーメイドで作れる場所があるという話も聞きました。(CC Fashions )
シルク生地で作れるムームードレスがお手頃な価格でオーダーメイドできるというので一枚ほしいなぁ~と母と話していると、PCCに着いたのでした。
そこは、なんとも言えない異国の地でした。(ポリネシアンカルチャーセンター )
入口をはいってすぐに、シャカサイン(こぶを作って親指と小指だけ立てたポーズ)
の発起人といわれる、ハマナ・カリリの像がそびえたっていました。
2mくらいある大きな像だが、昔のハワイの現地人はみんなとても大きかったそうだ。
’’アロハ~’’のサイン、シャカサインについてはいくつかの由来があるそうで、名前の由来はシャカシャカとジェスチャーしたときに聞こえそうな音からきているということ。
そして、ハワイのヒーローだったハマナ・カリリが工場の仕事中に事故で真ん中3本の指を失ってしまい、そこから、彼の手を振るあいさつが、こぶしから親指と小指だけ立てたポーズになり、みんながまねをしているうちに広まった、という説をPCCでは話していました。
PCCの中にはたくさんの南国の村があって、私たち家族は他の団体さんと一緒になって、日本人の大学生に案内してもらいました。
彼女はとても明るくしっかりしている感じで、頼もしいかんじでした。
PCCは近くの大学の生徒さんでほとんど運営しているそうでした。
大学生でここでボランティアできたら楽しいだろうなぁ~そんなことを思いました。
そしてショーを見たり、
カヌーに乗ったり、
モアイを見つけたり、
ハワイの興味深い文化がたくさん学べる施設なのでした。
最後日も暮れたころに、メインイベントのナイトショーがありました。
これはMさんも絶賛のファイアーショーであり、涙あり、感動ありの、終始ドキドキわくわくしっぱなしでした。
はぁ~楽しかった~!!!
夜も21時を回り、私たちはバスでホテルへ戻り、その日はたくさん親孝行できて満足した一日になりました。
Part35に続く
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